嫌がらせのない社会に
昨年6月、高速道路上でのあおり運転の末、進路をふさがれ停止させられた車が他の車に追突され、夫婦が死亡した痛ましい事故が発生しました。地方裁判所の判決に注目が集まっています。
危険な妨害運転が尊い命を奪うことにつながったことを考えると、運転免許には、良いマナーで運転する義務が伴うべきと考えさせられます。
以前、後続の車が車間を詰め、道を譲れる場所までピタッとくっついたまま、数分あおられた経験があり、しばらく恐怖で手が震えたことを思い出します。
運転していると、多かれ少なかれそのような経験をしたことがあるのではないでしょうか。
嫌がらせの心理
運転中、車という閉ざされた空間において、自分の走り方のペースを通したくなる心理がそこに働くそうです。
ある人はその中で、他の車の走り方により、まるで自分のペースが“邪魔”されたかように感じ、腹を立て、妨害運転をするのだそうです。
さらに悪いことに、そのような危険なあおり運転が、誰にもとがめられないまま、妨害運転を常習的に繰り返すケースも多いそう。
マナーを守る
そのような危険な行為はしないまでも、マナー違反をしてしまうことは、だれにでもあります。
東京都内から近隣の県に引っ越して間もない頃、信号のない横断歩道を歩いて渡ろうとしたとき、止まろうとしない車に引かれそうになったことがありました。その時腕をつかんで助けてくれた地元の友人に言わせると、「ここでは人より車が優先」とのことで、非常に驚きました。
思い返してみると、人も車も多い都内で歩行者優先の交通マナーがある程度守られていたのは、警察官が交差点などあらゆる場所で監視しており、その目もあったのでは、と個人的に感じました。
罰をうけたくないから、マナーを守るのも、寂しい話ですが、それが現実なのかもしれません。
しかしできれば、ひとりひとりが自分勝手なものの見方ではなく、他の人の利益や福祉を考えられる人でありたいものです。皆がそのような気持ちで生活すれば、あおり運転のような嫌がらせはなくなるはずです。
車はそれ自体で人を傷つけたり、死亡させたりしかねない、凶器にもなり得るものです。それを悪意を持って振り回すことは、もちろん絶対にしてはなりません。
さらに悪気はなかったとしても、マナー違反やルールの無視により、誰かが傷つくとしたら、それも本当に悲しいことです。お仕事で運転する人もそうでない人も、心の余裕と他の人への配慮は、忘れたくありませんね。
社会に出た時、社会人として働くためのいわば運転免許を持ったようなもの、良いマナーや他者の配慮は必須です。
嫌がらせのない、安心、安全な社会が実現してほしいです。